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2007年4月18日より作成☆彡 2008年5月末より体外受精開始! タダイマ準備中でバタバタです(;゚д゚)ァ....
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ここでひとつ。
初めて目にする方はちょっとΣ(゚Д゚;エーッ! 
な内容になってるかと思われます。
私が書きたかったのは、私の生い立ちもそうですが、
同じ境遇になった人も
またそうでない人もこれからのことを考えて、
私の経験したことが、
知識が少しでも役に立てばよいなと
いう思いで書いています。
どうか最後まで読んでくださいな。



初めの症状は私が高校一年生(16歳)のお正月あたりからだった。
初期はこれといって症状はなく、ただおりものが
異様に多かったという記憶があった。

二年生に進級して新クラスなどでの緊張感も解けた5月連休中に
生理があったのだが、どうもいつもとはちょっと違う感じがした。
下腹部に感じる熱い痛さというのだろうか・・・。
立っているのも結構厳しいぐらいだった。
病院に行こうとしたがGW中だったので
学校が始まってから行こうと思っていた。

学校が始まり病院へ行ったが、町医者の産婦人科医で
(生理の異常だと予想したため産婦人科に行った)
『膣内が炎症してますね。粘液検査をしておきますので明日まだ来てください』
との事。
ふむ・・。そういわれても全くわからなかった。
クスリを貰って家に帰り、夕食を食べ明日に備えて早く寝ようと
思い、布団に入った。
明日には何が原因だかわかるといいなぁ・・・と思いながら。

この日の夜だった。
激しい痛みと熱でとても寝れる状態ではなかった。
あまりの痛さに泣きながら親を呼び・・・
後半はもうあまり覚えていない、意識がなくなるぐらい痛かったのだ。
親はすぐに近くの市立病院(川口)に電話した。
電話の内容は、今日のところはとりあえずヴァファリンを飲ませてください。
と言われヴァファリンを飲んだところ痛みは治まり、
いつの間にか寝ていた。

次の日とりあえず、学校へ向かって(私の学校は規則が厳しく、休んではいけないというところだった)
昨日行った病院へ検査結果もかねて聞きに行こうと思っていた。
が、
途中の電車の中で昨日の夜並みの痛さが・・・
立っていられなかった。
でも・・・
誰一人声をかけてくれる人はいなかった。なんだか悲しいね・・。

激しい痛さのなか泣きながら学校に着き、教室で朝礼が終わるのを待っていた。
途中で友達があまりの私の表情とつらそうな様子をみて
先生に伝えた。
すぐに病院に行ってきなさい・・と言われ早退。

後のこともやっぱりほとんど覚えてない。
とても痛かったけれど自分の足で電車に乗りバスに乗り・・・
1時間30分の道のりをたどり病院へ。
このとき昨日電話した病院に行くことにしていた。大きい病院のほうがいいと思って。

入り口で今にも倒れそうな私を見た案内の人が
産婦人科まで連れて行ってくれた。
産婦人科には妊婦さんばかり・・とても混んでいて11時についた私は
それから診察を受けたのは3時だった。
倒れてしまった状態になっていたようで、看護婦さんがどうにか先に
見てもらえる手配をしてくれたようだ。

診察結果は・・・
子宮が炎症している。又、腹膜炎も起こっているね。
ひどい状態だねぇ。よくここまで我慢したね・・・
これは即入院だよ。

相当ひどい状態だったそうで・・・。
診察後、親に連絡、学校に連絡・・と泣きながらしていた私。
『ひどい状態』というのが
私にはとてもショックだった。無知すぎて何がどうなのか全くわからない。
それの恐怖と診察のときに感じた痛みもあったせいか、
(多分このとき子宮に注射をした様子・・痛すぎて声がでなかったが。)
ずっと泣いていた。

電話を終え、もう一度治療室に入り痛みと炎症を抑えるように
抗生物質の点滴を打たれることになった。
なんだかとても疲れて・・・点滴してる間寝ていた。

気がついたときは病室のベッドの上。
親が来ていて、私の着替えなどなどを用意してくれていた。

=続く=

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入院期間中は主治医の先生と共に、
抗生物質で治ることを前提に毎日が過ぎていった。
一日3回の抗生物質の点滴、二日に一回の血液検査(白血球検査等)
 それを二週間続けた。

結果、痛みは軽いが熱が下がらず白血球数値も下がらずむしろあがっていた。
主治医の先生からこう告げられる。
MRI検査などしてみて手術になると思います。
!!!!手術・・・

MRI検査はとてもつめたぁい点滴を(かなりの量のクスリが打たれる)
腕に打たれ5分かけてかな?ゆ~っくり全身にめぐらせてからの
撮影になるみたいだ。なんだかドキドキ

検査結果は、
卵管の炎症、腹部の炎症の影が見られるとの事。
卵管に関しては両方だと言う。
これは切開しないとだめだねぇ、と言われ手術に。
卵管切除手術なので、手術後は通常妊娠はできませんよ
そのことを告げられた私。よくわからないけどできないんじゃないんだよね♪
なんて軽く考えていた。
でも、
親は泣いていたのを私は知っている。

二日後に手術が決まり、ばたばたと日程が組まれる。
前日8時以降は食事はしてはいけない。
当日は水を飲んでもいけない。
とても緊張して寝れないですよ。

手術直前に筋肉注射を打たれ、(筋肉弛緩剤?)
自分の意思では手とか足とか動かせなくなった。
そのままベッドごと手術室へ・・
テレビで見てるような感じに運ばれ、
手術室手前の待合室?見たいなところで手術衣装を着せられ
手術台へ運ぶベッドに移された。

手術台に移り・・
ライトに当てられた瞬間、震えが止まらなくなった。とても怖かった。
下腹部手術ということで、下腹部麻酔をかけることになった。
この麻酔、腰に打つ。
・・・・・
痛いです、とても。
絶句というか言葉がしゃべれないぐらい痛い。
今まで味わったことのない痛み。
もう絶対経験したくない

麻酔が効き始め医師から効いてるかどうかのチェックを受ける。
先のとがったもので足をチクッ。
私の体質が効きづらい性質なのか、なかなか効かなかった。
でもしばらくしてるとチクッと感じなくなったので合図した。

手術開始

下腹部麻酔は下半身は感覚ないけれど、上半身はあるので
意識がある。感覚があるのがとてもいやだった。
その気持ち悪さに、眠らせてほしい・・と
看護婦さんに伝えそうしてくれた。
手術中の細かいところまで聞こえた私。
今でもとても覚えている。

手術後麻酔が切れるまで2時間かかった。
起きたときは家族みんながいた。
意識がぼーっとしてる最中、
もう夕方だったことを覚えてる。
でもまだ少し眠いからおやすみなさい・・・

二日間の集中治療室での生活を終え、
一般病棟に移った。
食事が始まったのは夕方からだった。
流動食から始まり
おもゆ、3分粥、5分粥~という感じで
進んで行き6日目ぐらいには通常食にもどっていた。
といっても病院食まずい!

病院での生活はとても長く感じたし、いろんなことがありすぎて
とても伝えきれるものじゃない。
病院でであった患者さんや看護婦さんにも
た~くさん迷惑かけちゃったし。
やんちゃっこでごめんなさいw
沢山の学校の仲間と知り合いがお見舞いに来てくれた。
とてもありがたかった。本当にありがとう!
でも退屈な入院生活、まだ若かった私にはとても酷なことだった。
それを楽しませてくれた看護婦さんに感謝感激です!

入院合計28日、手術日5月9日
本当に丁度10年前のことだった。





この病気にかかったのは、
昔付き合っていた彼が原因の可能性が高かった。
医者には、彼もつれてきなさい。
と言われていたのだが当時の私は、それを言って彼に嫌われることを恐れ
言わなかった。馬鹿だね、無知すぎたよね私。

その彼は退院の日に迎えに来るわけでもなく(社会人だったけど・・)、
私が家に着いて次の日だったかな、来たの。
入院中、知り合いから言われたことがあった。
彼は相当浮気してたらしい
友達の知り合いとも体の関係があったりなど
私が入院してる間もそんなことを続けてたらしい。
今だったら私ぶっとばしちゃうけどね!
そのときはどうしてか・・
嫌われたくないとずっとそればっかり気にしてた

結局その彼とは退院後2ヶ月で別れた。
ずっとずっと好きだったんだぁ。
つい去年まで忘れられない人だった。
おなかの傷を見るたびに、思い出してしまっていたから。
この人にはこの後も私は苦しめられた。
長い長い時間この人への思いで私は拘束されていたみたい。

それから3年後、彼から連絡があった。
家の前に一枚の連絡帳。
彼の字でいろいろと書かれていた。
『近くで見かけてね、元気そうだったから連絡取りたいなと思ってさ。』
などなど・・彼の連絡先も書いてあった。
私はやっぱりそのとき忘れられていなかったんだねぇ。連絡しちゃったよ。
でもそのときは普通に久しぶり!ぐらいで終わったかなぁ。
その後また急に連絡なくなって、私はまた忘れるようにした。

そしてそれから2年後、
また同じように実家の家の前に一通の自由帳。
中身はやっぱり彼だった。
私この話は友達にも誰にも言ったことがなかった。
このときは彼と・・一夜を共にしてしまった。
今でもとても後悔。
なぜこうしてしまったのか、
一番は憎い
と言う気持ちの塊だった。
憎い・・・が長年続きその人への思いになっていたこと、それは
嫌いで別れたんじゃなかったからなのかな。でももしかしたら
それはただの言い訳なのかな。

その後すぐだった。
その彼、私に対してすごいことを連絡してよこした。
『前付き合ってた彼女が妊娠しちゃって、結婚することにしたよ。』
・・・・・・
私ってなんだろう。
病気の原因が彼で、忘れられなくってそれでも
少しは私のこと考えてくれてるんじゃないかと思って、
 もういちど会ったらどうにかなるんじゃないかと
ず~っとずっと期待というか信じていたのに・・・
ヨリによってできちゃった結婚の報告。
怒りが最高潮に達していたけど私が返したメールは、
初めは怒り、最後はお幸せに・・・と。

葛藤だったよ。どうしていいかわからないやり場のない怒りが
ず~っと続いてそれで去年まで忘れられずにいたんだ。
でもそれが、ある一人の人に会って変わったよ。

=続く=









病気以来、数人の人とお付き合いしたが
どうしてもこの人じゃないと!っていう人は私の仲では現れなかった。
私のわがままも沢山あったけど
でもやっぱり長く一緒だったとしても
何か物足りないって心の底で思っていたようだ。
その結果が、インターネットオンラインゲームに没頭することにつながった。

コルムオンラインというゲームを今から二年前に始めた。
初めは、ちょっと興味ぐらいだったのだが続けていくと
何か物足りなかった部分を埋められる感じがして
どんどんはまっていたった。

沢山の人との出会いが会ってゲームを始めてから一年経ったときに、
ある人に出会った。
それが八戒(ゲーム内での名前)、そう旦那です(笑)

はっちゃんとは
一緒のギルド(ゲーム内の大きな集団というのだろうか?)
で話すようになって
去年の4/29に会おうって事になり。
実際、OFFみたいにゲーム外でであった人は
この時点で10名ぐらい?いたけど
みんないい人だったし、とても楽しかったから
あまり抵抗はなかったけどねw

初めて会ったときの印象は、
え!意外と細い・・・そしてタイプじゃないw(ダーリンごめんちゃいm( __ __ )m )
シャメールもらってたけどぜんっぜん印象がwww
このとき会うって約束したときの口実?wが
スヌーピーショップに買い物行きたい!って事で
案内してくれるって話だった。
都内に疎いもので(爆笑)

買い物は物の5分で糸冬 了..._〆(゚▽゚*)
んで、どちらも( ゚д゚)ハッ!状態になりw
とりあえずお昼過ぎてたしご飯でも一緒に・・
ってことで渋谷の町をうろうろ俳諧(え?w)

ご飯食べたりなんだりして夕方5時過ぎぐらいに
代々木公園でちょっと座ってお話。
まるでカップル(・∀・)ニヤニヤ

初めはコルムの話とかしてあ~だのこ~だのいろいろ話してた。
時間が経つにつれ、気が緩んできたっていうか、
和んできたっていうか
私の病気の話とかもするようになった。

なぜだか、はっちゃんにこの話をしたときは
泣いちゃったんだよねぇ。
こうやって一対一で話したときはあんまり
悲しいというかつらいと思ったことなかったんだけど
はっちゃんには全部話したいなって
そう思って。

帰るときになって、でも帰りたくなくて
なんだか今日帰ったらもう会えないような・・
そんな気がしてたんだよね。
だから、『必ずまた会えるよね?』
と聞いた。
はっちゃんは『うん』

帰ってから数日間の間はなんだかギクシャクした感じ。
メールしてもあんま帰ってこないこともあった。
ん~なんか煮え切らない・・・。
はっちゃんと付き合いたいっては
思ってなかったんだけど、
急に態度が変わっちゃったからなんとなくいや!って
そう思って。(性格上白黒はっきりさせたいタイプな私)

5月5日にもう一度会いたい!と
私ははっちゃんに告げた。
いいよ。って返事だったけどはっちゃんは
その日はお仕事で夜11時までは会えないって話。
なのではっちゃんの家に会いに行く!
って私は言った(結構大胆?笑)

でも、私もさすがにお家にいくとなるとちょっと勇気が(笑)
その当時付き合ってた人がいたので、
なんとなく行きづらいというのもあった。
でもやっぱり会いたかったから行くね!

当日の午後3時、そろそろ準備しようかなって思ってたところで
はっちゃんからメールが。

真剣話。
今の俺の状況では正直まあさんと付き合わないほうがいいと思う。
 というか誰とも。
今日だってまあさんが家に来ても、俺は話なんて聞かず体を欲するだけ。
そんな関係になるのは嫌だから。そんな関係にさせてしまう俺がいるから。

今日時間を裂いて来てもらっても得るものなく、
ただ時間を使ってしまうだけ・・。
俺は、自分の欲のためにまあさんを利用しようとした。
まだ付き合ってもいない、精神的に参っていたまあさんに付け入りました。
きついかもしれないが受け止めてほしい。
俺の中でまあさんは、
ゲームの中のキャラクターであってゲームの中のまあさんに恋をした。
ゲームとリアルの混同。
だからこれからもそう、ずっとこれ以上の気持ちは芽生えないと
思う。
なかなか言い出せなくてごめん。
だからもうまあさんとは会えない。会わない・・・

今までありがとう。ごめんな。

私は、はっちゃんと付き合いたい!と
思って会いに行くんじゃない。
ただ、会いたい・・。 
もう一度話がしたい。私自身の気持ちが知りたい。


=続く=


待ち合わせ場所に来なくても私は会いに行くつもりでいた。
嫌われても何でもいい、ただ会いたいと本気で願っていた。
多分とても迷惑な人だったと思う。当時の私。
だってw夜中まではっちゃんを待って代々木公園にいたんだもんw
まだ5月初めで夜はとても寒く一人凍えそうになってた。

しつこくメールもしたし、
寒さもあって都内の夜の公園もあって
どうしていいかわからず知り合いにもたくさん連絡した。
みなさん本当にごめんね><

きっとはっちゃんは来ないだろう、と
私は思ってた。
でも、私はずっと待とうと決めてたし
次の日の始発までに来なかったら
きっぱり忘れちゃおうと思ってた。

代々木公園で待っていたとき変な人たちが絡んできた。
夜12時40分ぐらいかな?
結構私危険なことしてるのかも(;´∀`)・・・うわぁ・・・ と
改めて思ってたところに・・・

ん!はっちゃんが来た。

怒ってるだろうな・・顔見るのが怖いや。
はっちゃんはこっちへ来い。って感じで合図した。
ちょっとしょんぼりしながらついていったけど
実は内心、とてもうれしかった。
来てくれた!!!!
缶コーヒーを買って私に一本くれた。
上着もかけてくれた。
すっごく寒かったからとてもうれしかった。

はっちゃんの第一声
『ばか』
(´▽`*)アハハ 
そんなの知ってるw
バカでもいいよ。それでもいいから会いたかった。

それから公園のベンチに座って話した。
はっちゃんは私のこと好きじゃないんだって。
うんうん、それも知ってる。
私もそうだった。
でも、待ってる間に気づいたことがあって。

いつの間にか好きだった。はっちゃんのこと。

だから会えなかったとしても私は、
はっちゃんが好きってことはどうしたって変わらない。
とても大切な人だから、
今までにないぐらい大事だと思える相手と感じたから。


はっちゃんはあの時どうにか私に嫌わせたい、
と思わせようとしてたみたいだね。
私がはっちゃんを嫌いになりそうなことを
た~くさん言ってた。
でも、それもすべてはっちゃんが本気で言ってる風に聞こえなかった。
全部私のためにそうしてるのだと見抜いちゃった(笑)
うそつくのへたっぴw

だから私は、はっちゃんのこと忘れることにする。
ううん、忘れるんじゃなくて
いつか又会ったとき、
泣かないでいられるようになったら連絡するからね。


なんか私自身がとても変われた気がした。
今まで、嫌われないようにとかどうにか好かれようにって
思ってきた恋愛だったけど
一方的じゃなくなったのかな?ようやく・・

このことがあって私は
7年付き合ってた彼とは別れることにした。
それまで、なんとなく一緒にいた(失礼でごめん。)
お兄ちゃん
みたいに思っていた相手だったけど
そう、一緒にいればすごく楽。
でも楽と恋や愛は違うんだね。
本当にわがままな子で迷惑かけちゃってごめんね。
今でも連絡したりしてるけど、(たまに)
ほんと友達みたいな感覚でいられてよかった。

こんな大きなやり取りがあったんだけど、
実はその後の展開は異様に早いです(笑)

4日後、はっちゃんから連絡が来た。
俺からは連絡しないと言ってたのに(爆笑)
とてもびっくりしたし、あれから3日間
泣き続けていた私にはとても嬉しい連絡だった。

あんなに・・・あんなに
迷惑だと思っていたのに
あれからまあさんの事ばかり考える自分がいるよ。
日常が物足りないように感じる。
でも、この気持ちが何なのかわからない。
俺からメールしてごめんな。

すぐ後に

こうやって後悔して生きていくのも結構損だね。

というメールが朝起きたら届いていた。

びっくりしたけどとてもうれしかった。
私は、まだはっちゃんに伝えてなかったことをメールで返した。

あれからたくさん泣いたよ。
今も涙が出てくる。
でも私は、はっちゃんが好き。

朝早かったから(5時)寝てるだろうと思ったら・・。
意外にもすぐに返事が返ってきた。

実は・・・おきてる。
俺も、   
好きなのかな、好きなんだ。
寝れないんだよ。
まあさんの帰るうしろ姿が消えない、支えたい。
でも先が見えない。それでもいいなら彼氏彼女になりたい。

私このときは、私も!
とは思わなかった。
もう少しお互い普通に連絡取り合って、
しばらくしてそれでもお互いが必要と
強く思ったのなら一緒になりましょう。
と、そう告げた。


それから一月後、私たちは再会して
今に至ります(・∀・)コケティッシュ!!






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プロフィール
HN
まぁさん
年齢
43
性別
女性
趣味
釣りと犬と遊ぶこと♪
自己紹介
旦那とはネットゲームで知り合い2008年4月29日に結婚式を挙げました★
一回目のIVF-ET(体外受精、胚移植)は(´・ω・`)ショボーンな結果になりました。また挑戦するぞー!

6/2~9/16 初IVF-ET 
卵巣刺激方法ロング法(結果×)
×だった主な理由 卵子のグレードが悪かったため。
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