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2007年4月18日より作成☆彡 2008年5月末より体外受精開始! タダイマ準備中でバタバタです(;゚д゚)ァ....
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ということで、本日よりブログ開始しました。
リンク了解してくれた方々ありがとうございます♬
ちょくちょく更新していくのでどうぞよろしくお願いします☆彡

パソコンをvistaに変えてから
顔文字辞書が使えない状態が続いてます^^;
なのでしばらく顔文字なしで会話><
ネットゲーム始めて間もないころを思い出しますw

明日はとうとう八ちゃんに初めて会ってから
丸々一年になります。
なんだか二人でどきどきしてます(ぇw
来年の4月29日に結婚式をする予定。
親族のみで行う予定をしてるので
写真できたらUPします(ぁw


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今日は突然の雷雨と暴風でちょっとびっくりした^^;
でも今はめちゃめちゃ晴れてる感じw
あまりに暇だったのでプリンを作って遊んでました(ぇw
後は冷ますだけぇ♪
うまくできてたら写真upします^^
レシピは・・・
<用意するもの>
泡だて器(機械じゃなくて手動のほうがいいです)
裏ごし器(お茶の茶漉しでもいいよ)
プリン型(通常タイプで10個ぐらいかな)
オーブンの種類によってはお湯を用意してね。

牛乳・卵・砂糖・バニラエッセンス・バター(マーガリンでもよいです。)

<プリン作成材料>
牛乳:400cc
卵:4つ
砂糖:80g
バニラエッセンス:2・3滴
<カラメル材料>
砂糖:50g
はちみつ:スプーン2
水:スプーン2
(今回家に蜂蜜がめっちゃあまってたので使ってみたw味どうだろ・・w)
作り方はいたって簡単

プリン型に内側にバター(もしくはマーガリン)を薄く伸ばしながら塗る。

牛乳・卵・砂糖を全部混ぜて、(これを1とします)
裏ごし器を使い、1をこします。
これでプリンのカスタードは完成(早いでしょ?)

次はカラメル。
フライパンで砂糖と水を火にかけて
強火で煮る。
しばらくするとじわぁ・・っと透明だった液体が
茶色に変わってくるので
そしたら火を止める。
かき回してると全体的に茶色になってくるので完成。

プリン型に素早くカラメルをいれ(早くしないとカラメルかたまっちゃうよ
次に1を入れていく。大体8分目ぐらいがちょうどよいです。
入れ終わったら、オーブンのバットに置いていく。
温度は140℃ぐらいがよいです。
35~40分ぐらいで焼いていきましょう。
ちなみにうちの使ってるオーブンは
MRO-FX3という種類(HITACHです)
で、バットにお湯を張らなくても
プリンができちゃう仕様ですw
黒いオーブン用のバットがあるオーブンは(↓写真)
batto.jpg

と、こんな風なものだったらバットにお湯を張ってね。
その中にプリン型をおいて同じ要領で焼いてくれればおっけ。

私はあんまりゼリープリン
(コンビニとかで売ってるプッチンプリンとかゼラチンで作るやつ)
は好きじゃない。
食べるならやっぱり焼きプリンでしょ~。
まぁ人それぞれだからw
でも手作りのほうが甘さ調節できてやっぱりおいしいかな♪
みなさんもがんばってつくってね^^

私は過去小学校中学校でいじめにあったことがある。

小学校はかわいいもので
靴を隠されたり
ドッジボールの仲間はずれになったり
教科書に落書きされたりとか
そのぐらいのレベルだった。

私自身、明るく元気で
結構リーダーとかを任されたりするタイプの子だったので
目立つタイプ?だった。
意外とそういうタイプの子でも
いじめとかってあるんだね。
暗い子がいじめにあう~なんていうだけでも
ないのだ。

でも、この程度のいじめだったら
私はなんとも思わなかった。
気にするほどのことじゃないというか
気にしてなかったらいつの間にかそういうこと
なくなったしw

中学生のときのいじめが
私の心にとても深い傷を負わせた。

中学生にもなると、
色恋だのをとても気にする年になってきている。
特に私が通っていたのは私立中学で
女子のみ、ませてる子がたくさんいた。
お化粧したり
髪を染めてみたり・・

友達とのケンカが原因でいじめに発展。
暴力や言葉でされたものではなかった。

はじめはぜんぜん気がつかなかったけど
そのケンカした子の周りの壁を見たときに
初めてその事実を知った。

Oはワキガ。
くさいから帰れ
誰も近寄らない
(※最後にワキガについても書いておきますね。)

そう書かれたのを見たときに
絶望
という言葉の意味を痛感した。(Oというのは私の苗字の頭文字)

そう、私はワキガなの。
ずっと前から気がついてた。
だからこそ、常に気を使って
夏には薄着するのを極端に拒んだし、
エイトフォーとかがあったので
使ってみたり、清潔にしないとだめなのかな?と
思って一生懸命お風呂で
毎日ごしごし洗ったり・・
自分なりに一生懸命努力してきた。
それを思いっきり否定された瞬間、
絶望という感覚が生まれた。

それ以来、クラスのみんながそう思ってるんじゃないか。
親友の子もきっとそう思ってるに違いない。
すべての人が私を嫌っていると
そう思うようになっていた。
孤独・孤独・孤独
と思う毎日を過ごしていた

家に帰っても親に話すなんてとんでもない。
私は元気と明るさだけが取り柄だったのに
暗い顔したら悲しむだろうと
一生懸命笑顔ですごしていた。
本当は言えばよかったのかもしれない。
でも、言える筈ないのよ。
心配かけたくない

そんな毎日を送り続けて
3ヶ月経ったころには
私の心が壊れ始めていた
死にたい
本気でそう思ったこともあった。

家の壁に頭を思いっきりぶつけてみたり
はさみで手首を切ろうと思ったり・・・
こういう時って本当にどうしようもないぐらい
孤独だと思ってしまう。
自分を愛してくれている親のことさえも
頭の中から消えてしまっているのだ。

でもね

いじめとは、自分との戦いだと思っている。
解決の糸口は必ずどこかにあるんだよ。
私はそれを見つけたのだ。

人を信じれなくなったら、自分から信じれる相手を探せばいい。
よ~く目を凝らしてみてみて?
必ず誰か見てくれてるんだよ。
一人じゃないの
いつでも気にかけてくれている人がいるんだ。

気がつけてよかった。
気にかけてくれてありがとう。
もし、今いじめに困ってる人がいるのであれば
きっと必ずそういう人がいるから!
あきらめないで探していこう!


いじめられた人がいじめる側に立つこともよくある。
でも、
もしそういう人がいるのであれば
いじめられるつらさを知っているでしょ?
だったらいじめられてる子の糸口になってあげよう。
その子はきっとあなたを探してるのだから。

ワキガについて。
私は20のとき正社員についた会社の人から(ブログ内にその方のリンクあり)
このワキガの症状を和らげるというか
匂いを抑えるための商品があるよ!
という話を聞き、初めは正直半信半疑だったけれど
4000円前後で売っていたので買ってみた。
使い始めたところ
本当にすごい!
使った次の日にはほぼ、匂わなくなっていた。
使用説明にはこう書かれている
大体1週間前後は効果が効いた状態になります。
イスラエル商品でとても有名な商品です。
洗っても、激しい運動をしても効果は持続します。
という説明である。

今でも私はこれのおかげで
薄着になれるし、汗をかいても気にしないでいられる。
これからもずっと使い続けたい商品のひとつです。
私みたいに気にしてるかた、
是非一度使ってみてはどうでしょう?

ここでひとつ。
初めて目にする方はちょっとΣ(゚Д゚;エーッ! 
な内容になってるかと思われます。
私が書きたかったのは、私の生い立ちもそうですが、
同じ境遇になった人も
またそうでない人もこれからのことを考えて、
私の経験したことが、
知識が少しでも役に立てばよいなと
いう思いで書いています。
どうか最後まで読んでくださいな。



初めの症状は私が高校一年生(16歳)のお正月あたりからだった。
初期はこれといって症状はなく、ただおりものが
異様に多かったという記憶があった。

二年生に進級して新クラスなどでの緊張感も解けた5月連休中に
生理があったのだが、どうもいつもとはちょっと違う感じがした。
下腹部に感じる熱い痛さというのだろうか・・・。
立っているのも結構厳しいぐらいだった。
病院に行こうとしたがGW中だったので
学校が始まってから行こうと思っていた。

学校が始まり病院へ行ったが、町医者の産婦人科医で
(生理の異常だと予想したため産婦人科に行った)
『膣内が炎症してますね。粘液検査をしておきますので明日まだ来てください』
との事。
ふむ・・。そういわれても全くわからなかった。
クスリを貰って家に帰り、夕食を食べ明日に備えて早く寝ようと
思い、布団に入った。
明日には何が原因だかわかるといいなぁ・・・と思いながら。

この日の夜だった。
激しい痛みと熱でとても寝れる状態ではなかった。
あまりの痛さに泣きながら親を呼び・・・
後半はもうあまり覚えていない、意識がなくなるぐらい痛かったのだ。
親はすぐに近くの市立病院(川口)に電話した。
電話の内容は、今日のところはとりあえずヴァファリンを飲ませてください。
と言われヴァファリンを飲んだところ痛みは治まり、
いつの間にか寝ていた。

次の日とりあえず、学校へ向かって(私の学校は規則が厳しく、休んではいけないというところだった)
昨日行った病院へ検査結果もかねて聞きに行こうと思っていた。
が、
途中の電車の中で昨日の夜並みの痛さが・・・
立っていられなかった。
でも・・・
誰一人声をかけてくれる人はいなかった。なんだか悲しいね・・。

激しい痛さのなか泣きながら学校に着き、教室で朝礼が終わるのを待っていた。
途中で友達があまりの私の表情とつらそうな様子をみて
先生に伝えた。
すぐに病院に行ってきなさい・・と言われ早退。

後のこともやっぱりほとんど覚えてない。
とても痛かったけれど自分の足で電車に乗りバスに乗り・・・
1時間30分の道のりをたどり病院へ。
このとき昨日電話した病院に行くことにしていた。大きい病院のほうがいいと思って。

入り口で今にも倒れそうな私を見た案内の人が
産婦人科まで連れて行ってくれた。
産婦人科には妊婦さんばかり・・とても混んでいて11時についた私は
それから診察を受けたのは3時だった。
倒れてしまった状態になっていたようで、看護婦さんがどうにか先に
見てもらえる手配をしてくれたようだ。

診察結果は・・・
子宮が炎症している。又、腹膜炎も起こっているね。
ひどい状態だねぇ。よくここまで我慢したね・・・
これは即入院だよ。

相当ひどい状態だったそうで・・・。
診察後、親に連絡、学校に連絡・・と泣きながらしていた私。
『ひどい状態』というのが
私にはとてもショックだった。無知すぎて何がどうなのか全くわからない。
それの恐怖と診察のときに感じた痛みもあったせいか、
(多分このとき子宮に注射をした様子・・痛すぎて声がでなかったが。)
ずっと泣いていた。

電話を終え、もう一度治療室に入り痛みと炎症を抑えるように
抗生物質の点滴を打たれることになった。
なんだかとても疲れて・・・点滴してる間寝ていた。

気がついたときは病室のベッドの上。
親が来ていて、私の着替えなどなどを用意してくれていた。

=続く=

入院期間中は主治医の先生と共に、
抗生物質で治ることを前提に毎日が過ぎていった。
一日3回の抗生物質の点滴、二日に一回の血液検査(白血球検査等)
 それを二週間続けた。

結果、痛みは軽いが熱が下がらず白血球数値も下がらずむしろあがっていた。
主治医の先生からこう告げられる。
MRI検査などしてみて手術になると思います。
!!!!手術・・・

MRI検査はとてもつめたぁい点滴を(かなりの量のクスリが打たれる)
腕に打たれ5分かけてかな?ゆ~っくり全身にめぐらせてからの
撮影になるみたいだ。なんだかドキドキ

検査結果は、
卵管の炎症、腹部の炎症の影が見られるとの事。
卵管に関しては両方だと言う。
これは切開しないとだめだねぇ、と言われ手術に。
卵管切除手術なので、手術後は通常妊娠はできませんよ
そのことを告げられた私。よくわからないけどできないんじゃないんだよね♪
なんて軽く考えていた。
でも、
親は泣いていたのを私は知っている。

二日後に手術が決まり、ばたばたと日程が組まれる。
前日8時以降は食事はしてはいけない。
当日は水を飲んでもいけない。
とても緊張して寝れないですよ。

手術直前に筋肉注射を打たれ、(筋肉弛緩剤?)
自分の意思では手とか足とか動かせなくなった。
そのままベッドごと手術室へ・・
テレビで見てるような感じに運ばれ、
手術室手前の待合室?見たいなところで手術衣装を着せられ
手術台へ運ぶベッドに移された。

手術台に移り・・
ライトに当てられた瞬間、震えが止まらなくなった。とても怖かった。
下腹部手術ということで、下腹部麻酔をかけることになった。
この麻酔、腰に打つ。
・・・・・
痛いです、とても。
絶句というか言葉がしゃべれないぐらい痛い。
今まで味わったことのない痛み。
もう絶対経験したくない

麻酔が効き始め医師から効いてるかどうかのチェックを受ける。
先のとがったもので足をチクッ。
私の体質が効きづらい性質なのか、なかなか効かなかった。
でもしばらくしてるとチクッと感じなくなったので合図した。

手術開始

下腹部麻酔は下半身は感覚ないけれど、上半身はあるので
意識がある。感覚があるのがとてもいやだった。
その気持ち悪さに、眠らせてほしい・・と
看護婦さんに伝えそうしてくれた。
手術中の細かいところまで聞こえた私。
今でもとても覚えている。

手術後麻酔が切れるまで2時間かかった。
起きたときは家族みんながいた。
意識がぼーっとしてる最中、
もう夕方だったことを覚えてる。
でもまだ少し眠いからおやすみなさい・・・

二日間の集中治療室での生活を終え、
一般病棟に移った。
食事が始まったのは夕方からだった。
流動食から始まり
おもゆ、3分粥、5分粥~という感じで
進んで行き6日目ぐらいには通常食にもどっていた。
といっても病院食まずい!

病院での生活はとても長く感じたし、いろんなことがありすぎて
とても伝えきれるものじゃない。
病院でであった患者さんや看護婦さんにも
た~くさん迷惑かけちゃったし。
やんちゃっこでごめんなさいw
沢山の学校の仲間と知り合いがお見舞いに来てくれた。
とてもありがたかった。本当にありがとう!
でも退屈な入院生活、まだ若かった私にはとても酷なことだった。
それを楽しませてくれた看護婦さんに感謝感激です!

入院合計28日、手術日5月9日
本当に丁度10年前のことだった。





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プロフィール
HN
まぁさん
年齢
44
性別
女性
趣味
釣りと犬と遊ぶこと♪
自己紹介
旦那とはネットゲームで知り合い2008年4月29日に結婚式を挙げました★
一回目のIVF-ET(体外受精、胚移植)は(´・ω・`)ショボーンな結果になりました。また挑戦するぞー!

6/2~9/16 初IVF-ET 
卵巣刺激方法ロング法(結果×)
×だった主な理由 卵子のグレードが悪かったため。
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